「たとへば、こんな怪談話 3 =猫股= 第一話」  「…しかし、こうしして自分の墓を詣でるなんて、なんか変な気分ね」  その白くて細い顎に白魚のような手を当てながら、静はつぶやいた…  そんな静のつぶやきを耳元で聞き流しながら、庄兵は線香を黙って線 香受けに供えていた。  線香を供え合唱すると、庄兵はフゥッとため息をつき、そこから見え る横浜の町並みを見渡した…そこは小高い丘の中腹にある寺の、そのひ ときわ一番高くて見渡しの良い場所である…そこには秋山家先祖代々の 墓がある。  既に苔生して所々にひびが入った決して見栄えは良くない墓石である が、当時のポピュラーであったろう五輪の墓石に刻まれた先祖の人々の 名は、鎌倉時代から続き、延々と続く名はいつの間にか墓石に刻みきれ なくなって、墓を囲うように巡らされた墓碑にまで綴られている。そう して綴られてきた名は、庄兵の曾祖父重治の弟の名である『秋山 光治』 と言う名で終わっている。  その隣に寄り添うようにひっそりと立つ、墓がある。そこの墓名は 『星野家』となっていて、墓碑には『星野 平吉』と言う、それまでの 秋山家と違う人物の名になっている…それが、庄兵の家の墓であるが、 決して秋山家と縁もゆかりもない家と言う訳ではない…その隣にある名 は『星野 静』…庄兵の祖母の名であり、さっきから、庄兵の耳元でぶ つぶつ言っている当人である。今は庄兵の守護霊である。  今日は静の命日に当たる。…その静こそ秋山家の代々の当主の血筋を 引く人であった…  今にも降り出しそうな深くどす黒く立ちこめている曇り空の下に広が る横浜の町並みは、昔はここから横浜の港を望むことが出来たそうだが、 今では高層ビルや高層住宅が建ち並び、わずかにベイブリッジの一部と ランドマークタワーの高層部が見えるだけであった。  「さ、帰ろう…」 と、庄兵が一通り町並みを眺めた後きびすを返すと、  「何いってんの!せっかく来たからには、他の一族の人達の墓にも線 香を供えて行きなさい!!」 と、静に一喝された。  「ヘーーーイ」 庄兵が、怠そうに返事をすると、  「返事が悪いねぇ…この子は!ハイでしょ、ハイ!!」  「ハイハイ…」  「ハイ、は一度でよろしい!」 と、静は庄兵の頭を小突いた。  「はぁーい」 小突かれた頭をさすりながら渋々と返事をすると、静は腕組みをして  「…そうそう…いい子ね…」 と、相変わらず庄兵を子供扱いしていた。庄兵もいい加減30代の男で ある。  庄兵はふとしたことから、自分の守護霊である祖母の霊静と話せるよ うになり、静が庄兵に対して色々助言するのを聴くことが、今の庄兵に とっては当たり前のことになっていた。  静に言われるままに、庄兵はあっちの墓こっちの墓に線香を供え、時 には掃除までさせられた…静に言わせると、この寺の殆どの墓が秋山家 とその分家、そして縁のある人々の墓だそうである。その墓々に線香を 供えているうちに、庄兵が持参した5箱の線香は無くなってしまった…  「静さん、線香が無くなっちゃったよ…それに、殆ど回ったし雨が降 りそうだから、帰ろうよ…」  「しょうがないねぇ…、でも、もう一つ行くところがあるから、お寺 に戻ってお線香買ってきなさい」  静は庄兵の訴えに呆れたと言った口調で言った。  「あとって…どこ?」  「無縁塚です」  「…無縁塚って…、あの不気味な?やめよーよ、だいたい無縁仏に情 けを掛けると取り憑かれるって言ったの静さんじゃない!」  静の言葉に途端に庄兵は嫌な顔をした。  「そうよ…たしかにそう言いましたが、この寺の無縁塚は違います。 みんなれっきとしたこの家の人々や、家人の墓です」  「…?それ、どういうこと?」  線香を買いに本堂に行く道すがら、静は無縁塚について語ってくれた …その話によると、この寺の無縁塚は、戦で討ち死にした家人や一族、 主家(秋山家)に掛けられた嫌疑を晴らすため、自ら犠牲になった家人 や一族、権力争いで他家に毒殺された一族などの、いわば秋山一族を守 った人々の墓であるそうだ。  「こうした人々は、公に弔うことを禁止され、時の権力者の目を誤魔 化すため、こうして塚を作り供養してきたのです…この事は、秋山本家 を継ぐ者と、ほんの一握りの人しか知らないことなのです」 と、静は凛とした声で言った。  線香を買い、寺の本堂の裏にある無縁塚に向かう途中で、この寺の住 職である放蓮に出くわした。  庄兵は、この放蓮が何となく嫌いであった…子供の頃から祖父母や両 親から、放蓮の悪口ばかり聞かされて育ったせいもあるだろうが、庄兵 が今の家を手に入れた途端にいきなり訪ねてきて、ずかずかと家に上が り込んだと思うと、庄兵に対して高級な仏壇や仏具を売りつけようとし た図々しい坊主であった。  そのときは、庄兵は先祖古来の仏壇をいずれ両親の家から引き取ると いう事を言ったが、放蓮はそれでも仏壇を売りつけようとし、庄兵が仏 壇を買う気にならないと知るや、手のひらを返すようにケチを付け始め、 あげくには足代としてお布施を強要するような態度まで示した。  その場は、静の助言で放蓮を追い返したが、以後、星野家の墓はまめ に掃除をしないと、荒らされるようになった。  その事を言っても、寺側は態度を改めるわけではないし、言えば返っ て荒らされるのが判っているので、おかげで、庄兵はしょっちゅう墓参 りをするはめになった。  本来は、この寺の住職は秋山一族の一人が代々住職をしていたが、総 本家で檀家総代を名乗る秋山慎太郎の時に先代の住職は早死にし、その 子供が赤ん坊であった理由から、本山から偉い僧を招くと言って秋山家 とは赤の他人の放蓮が住職に就任した。  放蓮は先代の住職の子供が成人してお寺を継ぐまでと言う条件で就任 したが、この土地が気に入ったのか、事あるごとにお寺に居候している 先代の住職家族を虐めて追い出そうと画策していると言う話をよく聞い ていた。  それでも、先代の住職の子供が優秀な成績で宗教学校を卒業し、本山 でも優秀な成績で修行を終え、蓮珠と名乗ってこの寺に帰ってきても、 放蓮はなにかとケチを付けて住職の座を明け渡そうとはせずに、下働き 同様にこき使っていると言う。  檀家の大多数である秋山一族は一致団結して放蓮を追い出そうとする が、放蓮は檀家総代の秋山慎太郎に取り入って檀家の訴えを本山に送る のをもみ消していた。  庄兵が頭を下げて、再び頭を上げたとき、庄兵の視界に測量機器を担 いだ数人の人達が放蓮に続いて歩いてくるのが見えた。  「あっ、これは星野さんの若旦那、この曇り空にわざわざご苦労様で す。いや、よく来ますね、若いのに関心関心…」 と、放蓮は相変わらず涼しげな顔で、まるで太鼓持ちみたいな言い方を した。  「どうも…こんにちは」  庄兵は内心カチンときていたが、それを表情に出さないようにしてい た。  放蓮は、相変わらず庄兵を値踏みするような目で見ると、  「で、今日は何しに?」 と言う放蓮の言葉に平静を装って  「いや、祖母の命日ですので、お参りに…」 と庄兵が言うと、放蓮はわざとらしく大きな動作をして、  「いやーぁ、そうでしたか、それは若いのに御奇特なことで…それで したならば、あたしがお経を読んで差し上げましょうか?」 と放蓮手を合わせ、手にした数珠を揉んだ。  「いや、7回忌は来年ですから、今日はいいです」 と庄兵が静かに言うと、  「それでは、卒塔婆でも…?」  「それは、さっき供えました」  「いや、もう一本供えては…」 と、放蓮はしつこく庄兵に迫った。  「いえ、結構」  庄兵は声を荒らげたくなるのを押さえていった。  「で…どちらへ?」 と、話を別の方にした放蓮の言葉に内心ほっとして、  「はい、無縁塚に参ろうと思いまして…」 と言った。放蓮は素直に答える庄兵の言葉に驚いて。  「…無縁塚ですかぁ?あんな所に参る必要なぞありませんや、やめと きなさいって…」 と、数珠を巻き付けている右手を大仰に一度上下に振り下ろして、怪訝 そうに言った。  「でも、せっかく線香まで買ってしまったので、このままお参りする つもりです」 と庄兵が言うと、放蓮は変な顔をして、  「そうですかい?星野の若旦那がそこまで言うのなら、あたしは止め はしませんが…」 と言って、放蓮達は立ち去っていった。  放蓮が立ち去った後、庄兵はおもむろに静に尋ねた。  「あのさ、ばあちゃん…」  「静さんとお言い!」 と言って、庄兵の頭を小突いた。  「あのさ…静さん」  「なによ!」  「どうして、爺ちゃんは、ばあちゃ…いや、静さんと結婚するときに、 秋山の姓を名乗らなかったの?」  「…それはねぇ…その当時既に秋山家の家督は叔父に半端強奪される ように取られた後だったから、父…おまえの曾お爺さんがね、『お前 (静)は、秋山の名に囚われて生活する必要はなくなったのだよ…』と 言って、爺さんの星野の姓を名乗るようにと言ったからだよ…」 と、静は悲しそうな声で言った。  無縁塚につくと、庄兵は線香を供えた。  両手を合わせ合掌をし、目を閉じて深々と頭を下げ、ゆっくりと頭を 上げながら目を開けると、庄兵の目の前に立派な武将髭を生やし、折り 烏帽子に鎧直垂の人物が見えた。  庄兵は驚いてその人物をまじまじと見ると、なんと、その人物は庄兵 の目の前で浮遊しているではないか!  庄兵は目を丸くし、口をパクパクさせたかと思うと、おもむろに口か ら泡を吹いてその場で気を失った。  「やれやれ…この子ったら…いったい何時になったら、馴れることや ら…」 と、静はうつむいて右手を顔に当て、首を左右に振った。  鎧直垂の人物は、庄兵が気を失うのを見て困惑していたが、静の方を 向き、庄兵を指さして  「この御仁は、それがしの姿が見えるのか?」 と言った。  「はい…見えます…ところで、あなた様は?」 と、静は毅然と鎧直垂の人物に尋ねた。  「それがしは、鎌倉幕府の御家人相模国の住人、秋山源三盛国と申す。 そなたはご本家の末裔の静殿であろう?」  「はい」  源三と名乗る人物にニコリと笑い掛けられて静はどぎまぎした。  「驚かれずともよい、それがしはそなたの先祖の分家に当たる者じゃ、 それがしは、故あって幕府の命令で切腹し、果てし後、この無縁塚に葬 られし者。今では、この無縁塚の霊達のとりまとめをしておる。そのた め、それがしがこの無縁塚に葬られし者達の代表としてこうして出てき たのだが…本家の末裔殿がこれでは…」  「…そうでしたか」  静はそれしか言えなかった。しかし、血がつながる者同士なのか、静 は心から優しい気持ちになって、源三に微笑み返していた。  そして、内心では  (先祖の方々は、みんな庄兵さんを秋山一族の本家と認めて下さって いるのね…) と嬉しく思った。  「ところで、静殿」  源三は静の前に傅き言った。  「それがしが出て来たのは余の儀にあらず。この寺の生臭坊主の放蓮 めが、この無縁塚を取り壊そうとしておるからじゃ」  「えっ…?本当ですか?」  静は源三の言葉に目をむいた。  「嘘ではござらん。先ほど放蓮が妙な者どもを使って測量とか言う物 を行いおった」  静は、源三の言葉に先ほどすれ違った測量機器を担いだ数人の人達を 思い出した。  「何とかこの無縁塚を取り壊すのを止めさせようと思っているのだが、 いかんせん我らはこの塚の自縛霊…この塚からは離れることは叶わず、 またあの生臭放蓮めは滅多にこの塚に来ないので放蓮めに訴える事が出 来ずにいるのだ…」  黙って頷いている静に源三言葉を続けた。  「ご本家の方なら、この無縁塚の子細をご存じかと思われる。ならば 放蓮めに直に訴えてこの無縁塚を取り壊すのを止めさせて貰えまいか?」  「うーーん」  静は腕組みをして考え込んでしまった…  確かに、この無縁塚の由来を知る者としては、この無縁塚を取り壊す のを止めさせなければならない。しかし、仮に庄兵を通じてこの話を放 蓮にしても、一笑に付されて取り合ってくれないだろう…と静は考えた。  そして、暫く考え込んだ上で、  「そうだわ、良い考えが在ります」 と、源三に対して小言で2言3言囁いた。  「うーーん」  「おお…気がつかれましたか?」  庄兵が目を開けると、目の前には庄兵の顔を心配そうに覗き込んでい た蓮珠の顔があった。  「あっ…蓮珠さん。ここは…?」  「お寺の本堂です。星野さんは無縁塚の前で気を失っていたのですよ」 と、蓮珠は優しく言った。  庄兵は蓮珠の言葉に気絶する前のことを思い出した。  「れ…蓮珠さん、実はですね…」 と、庄兵が言いかけたとき、放蓮が賑やかに入ってきた。  「いやーー、星野の若旦那、気がつかれましたか?だから言ったじゃ ないですか、無縁塚なんぞに行くものではないと…僧侶の言うことは聞 いておいて損は無いのです。きっと無縁塚で悪い霊に取り憑かれたに決 まっています。さあさあ、お払いをして差し上げますから、こっちに来 なさい」  庄兵は、まくし立てる放蓮の言葉に逆らえずに黙って放蓮の示す場所 に行ってお払いを受け、お布施を取られた… =続く= 藤次郎正秀